『高血圧および心血管疾患を有する人々の治療における血圧目標』と題されたコクランレビュー(2022年11月18日更新)は、既存の心血管疾患を有する高血圧患者において、より低い血圧目標(収縮期/拡張期135/85 mmHg以下)が標準的な血圧目標(140~160/90~100 mmHg以下)と比較して、死亡率および罹患率の低下に関連するかどうかを評価することを目的としています。
背景
高血圧は、早期の罹患率および死亡率の主要な予防可能な原因とされています。特に、既存の心血管疾患を有する高血圧患者はリスクが高く、標準的な目標値よりも低い血圧に下げることが有益である可能性があります。しかし、この戦略は心血管死亡率および罹患率を減少させる可能性がある一方で、有害事象を増加させる可能性もあります。したがって、既存の心血管疾患を有する高血圧患者における最適な血圧目標は依然として不明です。
目的
既存の心血管疾患(心筋梗塞、狭心症、脳卒中、末梢血管閉塞性疾患)の既往を有する高血圧患者の治療において、より低い血圧目標(収縮期/拡張期135/85 mmHg以下)が標準的な血圧目標(140~160/90~100 mmHg以下)と比較して、死亡率および罹患率の低下に関連するかどうかを判断すること。
検索方法
この更新されたレビューでは、コクランの標準的かつ広範な検索方法を使用し、最新の検索日は2022年1月でした。言語による制限は適用されませんでした。
選択基準
各群50人以上の参加者を含み、少なくとも6か月の追跡期間を提供するランダム化比較試験(RCT)を含めました。試験報告書は、少なくとも1つの主要アウトカム(総死亡率、重篤な有害事象、総心血管イベント、心血管死亡率)のデータを提示している必要がありました。対象となる介入は、標準的な血圧目標(140~160/90~100 mmHg以下)と比較して、より低い収縮期/拡張期血圧目標(135/85 mmHg以下)を含むものでした。参加者は、高血圧が確認された成人および心筋梗塞、脳卒中、慢性末梢血管閉塞性疾患、狭心症の心血管疾患の既往を有する高血圧治療を受けている成人でした。
データ収集と分析
標準的なコクランの方法を使用し、GRADEを用いてエビデンスの確実性を評価しました。合計7つのRCTが含まれ、9,595人の参加者が対象となりました。平均追跡期間は3.7年(範囲1.0~4.7年)でした。7つのRCTのうち6つは個々の参加者データを提供しました。特定の血圧目標を達成するために降圧薬の調整が必要であったため、参加者や臨床医への盲検化は行われませんでしたが、すべての試験で盲検化された独立した委員会が臨床イベントを評価しました。したがって、すべての試験はパフォーマンスバイアスの高リスク、検出バイアスの低リスクと評価されました。しかし、研究の早期終了や事前に定義されていない参加者のサブグループなどの問題を考慮し、エビデンスの確実性をダウングレードしました。
主な結果
- 全死亡率
- 低血圧目標群: 11.3%(676/5,985例)
- 標準血圧目標群: 11.7%(689/5,889例)
- リスク比(RR): 0.95(95% 信頼区間 [CI] 0.87–1.04)
- 結果の解釈: 低血圧目標群では全死亡率がわずかに低いものの、統計的に有意な差は認められなかった。
- 心血管死亡率
- 低血圧目標群: 2.1%(93/4,484例)
- 標準血圧目標群: 2.5%(113/4,543例)
- RR: 0.86(95% CI 0.66–1.12)
- 結果の解釈: 低血圧目標群で心血管死亡率が低い傾向がみられたが、統計的に有意な差はなかった。
- 心血管イベント(非致死性心筋梗塞・脳卒中・心不全などの合計)
- 低血圧目標群: 7.5%(384/5,085例)
- 標準血圧目標群: 8.3%(426/5,110例)
- RR: 0.89(95% CI 0.80–0.99)
- 結果の解釈: 低血圧目標群では心血管イベントのリスクが有意に低下していた。
- 脳卒中発症率
- 低血圧目標群: 2.4%(104/4,325例)
- 標準血圧目標群: 3.2%(136/4,314例)
- RR: 0.75(95% CI 0.58–0.97)
- 結果の解釈: 低血圧目標群では脳卒中の発症率が有意に低かった。
- 心筋梗塞発症率
- 低血圧目標群: 3.0%(145/4,866例)
- 標準血圧目標群: 3.2%(158/4,888例)
- RR: 0.91(95% CI 0.73–1.13)
- 結果の解釈: 心筋梗塞の発症率には有意な差が認められなかった。
- 心不全の発症率
- 低血圧目標群: 3.3%(160/4,835例)
- 標準血圧目標群: 3.9%(189/4,876例)
- RR: 0.83(95% CI 0.68–1.01)
- 結果の解釈: 低血圧目標群で心不全の発症率が低い傾向があったが、有意な差ではなかった。
- 治療による有害事象(重篤な低血圧など)
- 低血圧目標群: 2.7%(122/4,508例)
- 標準血圧目標群: 1.9%(88/4,519例)
- RR: 1.37(95% CI 1.04–1.81)
- 結果の解釈: 低血圧目標群では有害事象の発生率が有意に高かった。
エビデンスの解釈
本レビューの結果から、より低い血圧目標(135/85 mmHg以下)を設定しても、標準的な血圧目標(140~160/90~100 mmHg以下)と比較して、総死亡率、重篤な有害事象、総心血管イベント、心血管死亡率に統計的に有意な差は認められませんでした。
また、試験ごとのバラツキ(異質性)は比較的少なく、メタアナリシスの結果は一貫していました。しかし、以下の点がこの結果の解釈に影響を与える可能性があります。
1.試験デザインの限界:
盲検化が困難であることや、いくつかの試験が早期終了している点が、バイアスを引き起こす可能性がある。
2.対象集団の制限:
研究対象は主に心血管疾患の既往を持つ患者であり、より一般的な高血圧患者への適用には慎重な解釈が必要。
3.治療介入の実際の達成度:
より低い血圧目標を達成するためには、追加の降圧薬が必要になるが、実際には完全に目標値に到達していない例もある可能性がある。
臨床的意義
この結果は、高血圧治療の目標値設定に関するガイドラインの議論に影響を与える可能性があります。現在のガイドラインでは、心血管疾患の既往がある高血圧患者に対し、より厳格な血圧コントロールを推奨する場合がありますが、本レビューの結果はその有効性を強く支持するものではありません。
むしろ、過度な降圧による潜在的な有害事象(低血圧、腎機能障害、電解質異常など)を考慮すると、現行の標準的な血圧目標(140/90 mmHg程度)を維持することが合理的である可能性があります。
今後の研究の方向性
本レビューの結果を踏まえ、より低い血圧目標の有効性を明確にするためには、さらなる大規模RCTが必要と考えられます。特に、以下の点を重点的に検討する必要があります。
1.異なる年齢層や併存疾患を持つ患者への影響:
高齢者や糖尿病患者など、特定のサブグループにおける有益性・リスクのバランスを詳細に評価する。
2.降圧治療の種類や治療戦略の影響:
より低い血圧目標を達成するための降圧薬の種類や組み合わせが、アウトカムにどのような影響を与えるかを分析する。
3. 長期間の追跡研究:
本レビューに含まれた試験の平均追跡期間は3.7年であり、より長期的な影響を評価するための研究が求められる。
結論
本レビューの結果は、心血管疾患の既往がある高血圧患者において、より低い血圧目標を設定することが、標準的な血圧目標と比較して死亡率や主要な心血管イベントの減少につながる明確なエビデンスを示していません。
したがって、現在のガイドラインにおける血圧目標の見直しを慎重に検討し、過度な降圧によるリスクとベネフィットをバランスよく評価することが重要です。